第二番 登美山鼻高 霊山寺 |
2009.10.3 巡拝 |
霊山寺のある富雄の里は、古事記には登美、日本書紀には鳥見の地とあります。天武十二年(六八四)右大臣小野富人は、薬草湯屋を建て、薬師三尊摶仏を祀って諸人の病を治されたのです。 |
神亀五年(七二八)流星が宮中に落下し孝謙皇女が病に臥したとき、鼻高仙人が聖武天皇の夢枕に立たれ、「湯屋の薬師をお祀りすれば旬日以内に病を治す」というお告げがあり、行基が代参祈願したところ平癒。 |
天平六年(七三四)聖武天皇は行基に大堂の建立を命ぜられ、天平八年来寺されたインドの婆羅門僧菩提僊那は、登美山の地相がインドの霊鷲山ににており、お寺の名を霊山寺とするよう奏上、聖武天皇から「登美山鼻高霊山寺」の称号が贈られ、落慶しました。 |
バラ庭園は、平和への祈りと人生の輪廻をテーマとしており、二千株の色とりどりのバラを見て、心の安らぎを感じるようにと・・。 ―合掌― |